mixiの違和感と集団分極化、沈黙の螺旋
mixiに登録したのは2004年3月頃だったと思うので、登録してからそろそろ2年半が経とうとしているが、その間ほとんどmixiのサービスを使えていない。
※たまに友達の日記にコメントしたり、少しずつマイミクは増えていっているが…。
なぜ使わない(使えない)のか?
今までは以下のような理由だろうと、自分自身考えてた。
1."最近盛り上がってるけど、俺なんてサービス当初からユーザー登録してたから、今更って感じかなー"みたいなしょぼいプライド
2."最近落ち込んじゃって…"みたいなエントリに対して、"元気出せ!"と皆が口を揃える様な奇妙なまでの馴れ合い感に馴染めない
1に関しては、浪人した後に入学した大学で、"同じ年の奴が先輩面するようなサークルなんて入ってられねーよ"と考えたばかり、今一な大学生活を過ごした反省が未だに活かせていない。
2に関しても、表向きでは"あの馴れ合い感、気持ち悪い"と言いながらも、皆に元気付けてもらえて羨ましい、自分が"最近落ちてます"ってコメント書いたら、果たして俺のマイミク達は元気付けてくれるんだろーかという不安も正直ある。
そんなちっぽけな人間にはなりたくないと、何度か日記を書いてみようと思ったが、やはりやる気がでない。何か違和感がある。
最近読んだ「グーグル・アマゾン化する社会」という本で、何となくその違和感の正体が分かったような気がした。
その本に後半に登場する、"集団分極化"がそれである。
本の中で、"集団分極化"とは
簡単に言えば、似た者通し集まってコミュニケーションを取っていると、その中での常識が皆にとっての常識と考えてしまうような事か。
mixiにどっぷりとつかっていない自分が、他人の日記のコメントを読んで感じる違和感は、その辺にあるのではないだろうか。
また、本の中には"沈黙の螺旋"というキーワードも出てくる。
という事だ。
これもmixiのコミュニテイに当てはまる。
他人の日記でそれ違うだろ!って思っても、よほど自分の事を攻撃でも
されない限り同意もしないが反対もしない。
話しは変わるが、こんなエントリーを読んだ
ミクシィが2ちゃんねるに勝てないワケ
このエントリでは、mixiユーザーのネットの経験の浅さ(ネットの力を知らない事)や、匿名と実名の違いという切り口から2chとmixiの違いを分析しており、もっともな意見だと思う。
自分は2chもたまに見てるだけーなので、よく分からんが、イメージとして2chには目立ちたがり屋が多いと感じている。
目立つためにはどうすれば良いか?
それは皆と違う意見を述べる事だろう。
皆と違う意見をネット上で述べるためには、ネットの力に対する理解が必要だ。
2chにも"集団分極化"や"沈黙の螺旋"は存在する。
スレッドによっては、反論しようものなら袋叩きに合う場合も多いだろう。
でも、多勢を利用して反論する者を袋叩きにしている者は、きっとmixiも心地よいに違いない。
そして、リアルな2chユーザーは、空気を読んだ上で他者との違いを表明し、一目置かれる存在となっているはずだ(と思う)。
「グーグル・アマゾン化する社会」の中で、著者は以下のように結んでいる。
mixiに対する違和感を今後も持ち続けられるかが、自分の中でのバロメーターかも。
ちなみにこの本はDanさんもお勧めでした。
※たまに友達の日記にコメントしたり、少しずつマイミクは増えていっているが…。
なぜ使わない(使えない)のか?
今までは以下のような理由だろうと、自分自身考えてた。
1."最近盛り上がってるけど、俺なんてサービス当初からユーザー登録してたから、今更って感じかなー"みたいなしょぼいプライド
2."最近落ち込んじゃって…"みたいなエントリに対して、"元気出せ!"と皆が口を揃える様な奇妙なまでの馴れ合い感に馴染めない
1に関しては、浪人した後に入学した大学で、"同じ年の奴が先輩面するようなサークルなんて入ってられねーよ"と考えたばかり、今一な大学生活を過ごした反省が未だに活かせていない。
2に関しても、表向きでは"あの馴れ合い感、気持ち悪い"と言いながらも、皆に元気付けてもらえて羨ましい、自分が"最近落ちてます"ってコメント書いたら、果たして俺のマイミク達は元気付けてくれるんだろーかという不安も正直ある。
そんなちっぽけな人間にはなりたくないと、何度か日記を書いてみようと思ったが、やはりやる気がでない。何か違和感がある。
最近読んだ「グーグル・アマゾン化する社会」という本で、何となくその違和感の正体が分かったような気がした。
その本に後半に登場する、"集団分極化"がそれである。
本の中で、"集団分極化"とは
ある集団内で議論をした際、その結論が中庸に落ち着くのではなく、先鋭化した極端な方向へと進むような現象である。とある。
簡単に言えば、似た者通し集まってコミュニケーションを取っていると、その中での常識が皆にとっての常識と考えてしまうような事か。
mixiにどっぷりとつかっていない自分が、他人の日記のコメントを読んで感じる違和感は、その辺にあるのではないだろうか。
また、本の中には"沈黙の螺旋"というキーワードも出てくる。
自分の意見が優勢と認知した人は声高に発言し、劣勢と認知した人は孤立を恐れて沈黙する。その結果、優勢意見はより勢力を増し、劣勢意見はますます少数意見になる。
という事だ。
これもmixiのコミュニテイに当てはまる。
他人の日記でそれ違うだろ!って思っても、よほど自分の事を攻撃でも
されない限り同意もしないが反対もしない。
話しは変わるが、こんなエントリーを読んだ
ミクシィが2ちゃんねるに勝てないワケ
2chねらーとmixiユーザー。
この違いはなんだろなぁ?
何かが決定的に違う。いろいろ考えた。で、思った。
ネットの世界には2種類の人間がいる。
インターネットの力を信じる人間と、信じない人間だ。
知っている人間とまだ知らない人間、と言い換えた方が分かりやすいかもしれない。
ミクシィやってる人はまだまだネットの力を知らないと思う。
正の力も、負の力も。
<中略>
あとひとつ、ふと思ったこと。
本当にいいことっていうのは匿名でしかできないんじゃないかな?
実名だとどうしても偽善臭さを感じちゃうんだよね。
見返りを一切求めない、真の意味での奉仕っていうのは、匿名が前提にないと生まれない気がする。
このエントリでは、mixiユーザーのネットの経験の浅さ(ネットの力を知らない事)や、匿名と実名の違いという切り口から2chとmixiの違いを分析しており、もっともな意見だと思う。
自分は2chもたまに見てるだけーなので、よく分からんが、イメージとして2chには目立ちたがり屋が多いと感じている。
目立つためにはどうすれば良いか?
それは皆と違う意見を述べる事だろう。
皆と違う意見をネット上で述べるためには、ネットの力に対する理解が必要だ。
2chにも"集団分極化"や"沈黙の螺旋"は存在する。
スレッドによっては、反論しようものなら袋叩きに合う場合も多いだろう。
でも、多勢を利用して反論する者を袋叩きにしている者は、きっとmixiも心地よいに違いない。
そして、リアルな2chユーザーは、空気を読んだ上で他者との違いを表明し、一目置かれる存在となっているはずだ(と思う)。
「グーグル・アマゾン化する社会」の中で、著者は以下のように結んでいる。
一極集中的な思考を回避し、多様性を認知しつつ、主体性ある思考を貫けるのか。
新しい現代を生きるわたしたちに課せられた「群集の叡智」は、その真価を問われている。
mixiに対する違和感を今後も持ち続けられるかが、自分の中でのバロメーターかも。
ちなみにこの本はDanさんもお勧めでした。
by aratafuji
| 2006-09-25 01:26
| レポート