self memo

Webも中立で民主的なメディアにはなれない

以下のエントリーを読んだ。
“ネットらしさ”の先に――CGM的民主主義

全10回に渡る"CGMとは"というテーマのエントリーのまとめとして、以下の記述がある。
私の希望的観測
 今のCGMは玉石混交の世界です。希望的観測を言うと、今後は、新たな手法や技術により、玉と石が選別できるようになり、その結果、誰もが自由に発言し、それらが集合体になるもとで、真に中立で民主的なメディアが現れるでしょう。

 CGMプラットフォームに人類の全ての知恵が集まり、1つ1つが知恵のブロックのような役割を持ち、それらは組み合わせによって多様な目的をもったメディアが形成されていくでしょう。

この部分にはどうも共感できない。

エントリー内で著者は、CGMの良い例としてOSS(オープンソースソフトウェア)とWikipediaを取り上げているが、そもそもこれらは"皆"が作り上げた物ではない。
極一部の優秀な人達によって作られた物だからこそ素晴らしい物なのだ。

Wikipediaに関しては以下の調査結果がある。
閲覧者の94%が「信頼できる」、オンライン百科事典ウィキペディア
多くの人が信頼を寄せるウィキペディアだが、やはり実際に編集したことがあるユーザーは少ない。「編集したことがある」人は閲覧経験者の4.26%(21人)にとどまり、これは全体のわずか1.98%だ。誰もが自由に書き込めるという特徴を活用しているのは、現在のところごく一部のユーザーのみである。

ただ、これでも書き込みユーザーは増えているようだ。日本版は4月9日に20万項目を達成、項目数が2005年10月24日の15万から今回の20万に増えるのに要した日数はわずか129日。5万から10万に要した日数が261日、10万から15万に要した日数が255日であることを考えると、閲覧者の増加とともに、書き込みも倍のペースで増加している。 ウィキペディアは、ユーザー参加、集合知の利用という観点から Web2.0 サービスともいわれる。今後は書き込みユーザーの増加からも目が離せない

書き込みユーザーが増えているとはいえ、やはりWikipediaを作り上げているのは極一部の優れた人達だ。
個人的には皆がWikipediaに書き込むようになったら、逆に品質は下がるのではないかと思う。

また、この著者がオンザエッヂで働いていたのであれば、OSSがいかに優れた人達で作られているか身を持って知っているはずであろう。

CGMが玉石混交である事、今後Web上では今よりもさらに誰もが自由に発言できるようになるであろう事には全く異論は無い。
しかしながら、"皆"がそれぞれ個人の独立した発言をするわけは無く、企業なり個人なりの影響力の大きなメディアに影響された意見を発信するだけであって、いくらそれらの意見を集約したところで"真に中立で民主的なメディア"など出来るはずは無いとしか思えないのである。

著者の経歴を見る限り、そんな事は自分なんかに言われなくても百も承知であろうし、またわざわざ"希望的観測"と前置きされた部分に言及するのも何だとは思ったが、ちょっと引っかかったので自分の意見を書かせて頂いた。
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by aratafuji | 2006-10-17 01:36 | レポート